2016/01/28 20:54:02
既報、「FOLK EGG Only one(フォーク・エッグ オンリーワン)」についてー
森下門下生のライブなのに
1)何故、「FOLK EGG」という名称を使うのか?
2)何故「やまぼうし」が会場なのか?
ということを説明しておきたいと思います。
1)何故、「FOLK EGG」という名称を使うのか?
森下門下生と「FOLK EGG」は、別につながりがないぢゃん!「同窓会ライブ」とかでもいいんじゃね?
「FOLK EGG’97~2001」って、当時は出られるだけでもけっこうなステータスだったし、今まで「FOLK EGG」という名称を使うのにFOLK EGG事務局自体も強いこだわりを持っていたはずなのに、今回は安易に「FOLK EGG」って名称を使うって、どういうこと?
・・・というような不満にも似た疑問を持っておられる御仁がおられる…ような…
ひとことでいうならば、
「静岡フォーク界の巨匠」故・森下よしひささんが、「FOLK EGG」というライブに、本当に思い入れを持ってくれていたから、ということになるでしょうか。
森下さんは「FOLK EGG’97」から、ずっと「FOLK EGG」を支え続けてくれました。
今だから言えるぶっちゃけ話しですが、出演者の中には事務局としては出演してもらう気はないのに「出す」という回答をもらうまでしつこく連絡してくる人がいました。
そういう人は、出演が決まるとあれやこれやと自分の要求(主演順等)を通そうし、委員長は半分キレかかりながらも対応にあたっていました。
しかし、森下さんだけは、一貫して我々を支えることに徹してくれました。
ただ、1度だけ森下さんの方から要望が出たことがありました。
1998年のことです。
「新曲を作った。『FOLK EGG』で歌いたい。ぜひ出さしてもらいたい。
そして、その曲を『FOLK EGG』のイメージソングにして欲しい」
いつもと違う、懇願にも似た要望に、委員長も事務局長も本当に驚きました。
磯部委員長と事務局長は快諾し、その曲は「FOLK EGG」のイメージソングとしてフィナーレで出演者全員で歌うようになりました。
「遥かなる旅人」という曲です。
「FOLK EGG」の冠がついたライブは2001年が最後となりましたが、私が調べた限り、森下さんは「FOLK EGG」以外のライブで「遥かなる旅人」を歌っていません。
「遥かなる旅人」は『FOLK EGG』のためだけの曲であり、森下さんの『FOLK EGG』と「遥かなる旅人」という曲への思い入れは、相当強いものであったのではないか、と推察されます。
2001年以降、入院する直前まで、森下さんは何度も何度も私に聞いてきていました。
「『FOLK EGG』、やらないの?」
森下さんが『FOLK EGG』の復活をずっと望んでいたことは想像に難くありません。
今回、森下門下生がライブをやりたがっているという情報を聞き、森下さんの代わりに、森下さんが出たがっていた『FOLK EGG』に出て欲しいと思いました。
ただ、
「FOLK EGG」+「年号」のタイトルのライブは、事務局、特に委員長・磯部公一には強い強いこだわりがあります。
そのこだわり、条件に合わない限り「FOLK EGG」という名前のライブは開催しない、というのが、FOLK EGG事務局の方針です。
しかし、
『FOLK EGG』を大切に思い、事務局と同じ思いで何年も支えてくれた森下さんにちなんだライブであれば、(「FOLK EGG」+「年号」)の「年号」の部分をはずせば「FOLK EGG」という名称を使ってもよいのではないか、ということに落ち着いたのが今回の経緯です。
~(3)につづく~
森下門下生のライブなのに
1)何故、「FOLK EGG」という名称を使うのか?
2)何故「やまぼうし」が会場なのか?
ということを説明しておきたいと思います。
1)何故、「FOLK EGG」という名称を使うのか?
森下門下生と「FOLK EGG」は、別につながりがないぢゃん!「同窓会ライブ」とかでもいいんじゃね?
「FOLK EGG’97~2001」って、当時は出られるだけでもけっこうなステータスだったし、今まで「FOLK EGG」という名称を使うのにFOLK EGG事務局自体も強いこだわりを持っていたはずなのに、今回は安易に「FOLK EGG」って名称を使うって、どういうこと?
・・・というような不満にも似た疑問を持っておられる御仁がおられる…ような…
ひとことでいうならば、
「静岡フォーク界の巨匠」故・森下よしひささんが、「FOLK EGG」というライブに、本当に思い入れを持ってくれていたから、ということになるでしょうか。
森下さんは「FOLK EGG’97」から、ずっと「FOLK EGG」を支え続けてくれました。
今だから言えるぶっちゃけ話しですが、出演者の中には事務局としては出演してもらう気はないのに「出す」という回答をもらうまでしつこく連絡してくる人がいました。
そういう人は、出演が決まるとあれやこれやと自分の要求(主演順等)を通そうし、委員長は半分キレかかりながらも対応にあたっていました。
しかし、森下さんだけは、一貫して我々を支えることに徹してくれました。
ただ、1度だけ森下さんの方から要望が出たことがありました。
1998年のことです。
「新曲を作った。『FOLK EGG』で歌いたい。ぜひ出さしてもらいたい。
そして、その曲を『FOLK EGG』のイメージソングにして欲しい」
いつもと違う、懇願にも似た要望に、委員長も事務局長も本当に驚きました。
磯部委員長と事務局長は快諾し、その曲は「FOLK EGG」のイメージソングとしてフィナーレで出演者全員で歌うようになりました。
「遥かなる旅人」という曲です。
「FOLK EGG」の冠がついたライブは2001年が最後となりましたが、私が調べた限り、森下さんは「FOLK EGG」以外のライブで「遥かなる旅人」を歌っていません。
「遥かなる旅人」は『FOLK EGG』のためだけの曲であり、森下さんの『FOLK EGG』と「遥かなる旅人」という曲への思い入れは、相当強いものであったのではないか、と推察されます。
2001年以降、入院する直前まで、森下さんは何度も何度も私に聞いてきていました。
「『FOLK EGG』、やらないの?」
森下さんが『FOLK EGG』の復活をずっと望んでいたことは想像に難くありません。
今回、森下門下生がライブをやりたがっているという情報を聞き、森下さんの代わりに、森下さんが出たがっていた『FOLK EGG』に出て欲しいと思いました。
ただ、
「FOLK EGG」+「年号」のタイトルのライブは、事務局、特に委員長・磯部公一には強い強いこだわりがあります。
そのこだわり、条件に合わない限り「FOLK EGG」という名前のライブは開催しない、というのが、FOLK EGG事務局の方針です。
しかし、
『FOLK EGG』を大切に思い、事務局と同じ思いで何年も支えてくれた森下さんにちなんだライブであれば、(「FOLK EGG」+「年号」)の「年号」の部分をはずせば「FOLK EGG」という名称を使ってもよいのではないか、ということに落ち着いたのが今回の経緯です。
~(3)につづく~
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